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自分年表書いてみた


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お題「じぶん年表」

 

プロフィールにも丁度良いと思い自分年表なるものを書いてみました。

少し恥ずかしいが隠すような遍歴でもないしいっかと思った次第です。

 

非常に長いですが、途中まででもちょっとでも読んで何か共感、指摘とあればコメントなどいただければもっとありがたいです。

 

出生〜幼少期

  • 大阪府茨木市にて7時間ほどかけてこの世に生を授かったと母から言われております。
  • 幼少期は茨木市のとあるアパートに住んでいたようですが全く記憶にはなく写真のみで知り得る限りです。
  • 2歳頃で吹田市に引っ越し。一回は一軒家、二階は3部屋の賃貸住居に分かれているというなんとも不思議な構図の一階に住み始めました。また3歳から近所のクリスチャン系幼稚園に通いました。今でも恥ずかしいのが給食の時に「手を合わせてください。あーめん!」が「あーめ(雨)」だと思っており、それも小学生の後半まで引きずっていました。
  • 当時運動神経と行動規範に問題があり、よく体操の時間に怪我をしていたよう。親が運動神経矯正のため近くのスポーツ教室でマットや鉄棒の訓練をさせました。小児科の先生曰く、この教室に通ってなければぼくは発達障害に陥っていた可能性があると告白され少しビビリのまた安心しました。笑
  • 友達は多くも少なくもなく、ただ年中か年長くらいからか、ポケットモンスターが発売されたのは今でも記憶に刻まれています。近所のゲーム屋さんでねだりもしてないのに親が買い与えてくれた理由がいまでも理解できませんでした。今思えば世間の子供達が一斉に平成ゲームブームに入っていく中、自分の子供だけ置き去りにされイジメなどの原因にしたくなかったのだろうと。(これは僕の推測です。親もそんな記憶とうに忘れたと言ってました。笑)おかげさまで筆者は友達に恵まれ素敵な園児生活を送ったと思います。今後ゲーム狂想曲が日本社会を狂わせていくわけですが、、、

 

小学生

  • 幼稚園をなんとか卒業し、近くの公立小学校に通っていました。入学時点から水泳を始めました。親に泳げないと恥ずかしいぞと当時言われ続け、いやいや始めたことを覚えていますが、やっててよかったと心底痛感させてくれます。小学校のプールて泳げる人、泳ぐの苦手な人でだんだんグループが分かれていくわけですが筆者はなんとか泳げるグループの真ん中くらいには入られました。
  • クラスでは1〜3年はなんと学年でもなかなかやんちゃなキッズDQNとつるんでしまったため黒歴史エピソード1と名付けておきましょう。簡単にまとめると
  1. 喧嘩で強い奴が偉い(休み時間ごとに戦う)
  2. 友達Aの家でひたすらスマッシュブラザーズやって負けた奴はその後の鬼ごっこで鬼スタート
  3. 真冬の水鉄砲
  4. 誰かが帰る行っても帰らせてくれない。
  5. 教室でパンツを突然脱ぎだす。(もちろん職員室もの)

お陰様で4年生で3〜4人いたグループは見事にクラスを分散される。しかしなぜか5年生で再集結。これは僕らも驚いた。しかしこのクラスは悪夢で担任が極度の男女差別で困ったものでした。当時はパワポケが流行ったり、ポケモンルビー・サファイヤなゲーム狂が多く輩出される歳だったような。。。

 

  • 6年生は何かと平和なクラスだった気もしなくないが僕の男性的な成長が早いためあだ名が「ジャングル」と名付けられてました,,,orz

 

由来は各自想像にお任せします。笑

 

余談ですが筆者の2−5年生くらいまでピアノやっており音楽会でも演奏しました。現在筆者の弟が中々のプレイヤーなのでまた機会があればご披露させていただきたいなと思ってます。

 

中学生

  • 小学校を卒業して中学ではまさかのバスケ部に入りました。今となっては音信不通レベルですがCPもやっていた友達Kに誘われて始めました。
  • 成長早かった筆者は当時走るのは学年で1番か2番くらいで運動能力はこの時がピークでした。(1年のときで50M7.0秒、100M13.5秒くらいかな、ちょっと盛ってるかも笑)
  • シャトルランも一年80回、二年120回、三年130+α(もっとできたけどトイレ行きたくて辞めた記憶が)と中の上くらいの運動神経でした。
  • バスケ部生活は筆者の中では非常に充実しており、唯一続けたスポーツで未だに休みの日に体育館に遊びに行ったりしています。練習は中の上くらいのきつさでとにかくよく走りました。身長命のスポーツで平均身長165cmくらいのチームで筆者が4番、5番(168cm)任される程でした。バスケそこまでうまかったて全然思えないけど、DFだけは褒められていて+運動能力でスタメンやらしてもらってました。
  • また中学生は勉強も比べられるようになる年ですが塾にも通わせてもらってたおかげでクラスで2~3番くらいで割と優等生っぽかったです。ミスったと思っているのはそれをクラスで公言したりしてたため筆者をよく思わない人もいました。どちらかというと自分も悪いと思う部分があるなと思っていますが、非常に明らかに嫌いと視線とジェスチャー放たれるのには少し困ったこともありました。
  • そのせいか中学で友達と呼べる人はいたけど、親友と呼べる友達がいるかと言われると少しわかりかねます。バスケ部も部分的に再開することはあれど全員で集まったことはないような気がして多少寂しいところはありますね。みんな今何をしているだろう?

 

高校(黒歴史エピソード2)

表題がすでに何かを語っていますがある意味人生の起点になりました。

 

  • まず高校ですが何とか成績表のビハインドを乗り越えて多少は名の知れた府立茨木高校入学しました。ここからあまり深く書きすぎると自分の正体を晒しかねないのでオブラートに包んでいきます。
  • 最初入学した時は自分は頭がいいと本気で思ってました。

 

「いい高校入ったし卒業したら京大に入るんだー」

 

いやいや、最初の中間テストからやられましたよ。もし読者の中に仮に学生がいたら笑ってください。中学時全国模試で偏差値70くらい取っていた奴が平方完成できない愚かさが。。。。

うん、単純にやらんでもできるやろとか、教科書読んでたら覚えるやろとかそんな甘い考えが全てを覆してきました。

恋愛でも失敗し、バスケ部も自分より上手い奴がポンポンおったりとなんか全てがうまくいってない感じがしました。

 

  • そして悲劇はさらに襲ってきました。突如の金銭トラブル。まだ高校生だけどお金が必要になったのでアルバイトを始めました。ここからが黒歴史。

 

アルバイトでお金が入ってくる→固定費が飛ぶけど余る→小遣いにならん→もっと働きたい→学校行かずに働く。

 

  • 悪循環が待っておりました。バイト先でも彼女できたり、先輩はヲタクやったけどバイクのっててかっこよかったしと。そんなこんなで昼から夜へと生活リズムがみるみるシフトしていき、高2の夏休みはバイト→オール→バイト→寝る、、、の繰り返しで二日に一回しか寝てないようなクズでした。その月15万くらいもらったけど。。。
  • ちなみに筆者三年間某ハンバーガーショップで勤め上げました。高校生だったのでマネージャーではなかったですがトレーナーやってました。(これでバイト先がわかる人はわかる、、、笑)
  •  この生活が進み学校では友達は本当に0でした。学校に行きたくないと言う現実逃避とバイトで多少輝く自分に陶酔して完全に公の場から姿を消そうとしていました。
  • しかし当時の彼女が本当にいい人で学校が近所だったんですが朝通学するために毎日自分を起こしてくれました。これは本当に感謝しています。毎日元カノの家までバイクで行って、そこからチャリで南茨木駅まで一緒に行ってました。そこで二人分かれて僕は巷で有名な桜通りを漕いでいたわけです。懐かしい。。。
  • また二年生の時のクラスメートも優しい人が多く、自分みたいなはみ出し者を友達とは言わずも優しく接してくれて、化学が一年から再履修になった時も何人かが助けてくれました。当時はあんま印象的でなかったですが今では非常にいい思い出です。
  • 二年が終わる頃からか、やはり進学校だと思わされたのが突然、予備校に通いだしたら、志望校について考え始めるような空気になりました。12月ごろからでしょうか。
  • 自分は大学なんてとは思っていたもの、音楽をやりたいような気持ちもあり専門学校に行こうと思っていました。
  • しかしクラスの授業の空気があまりにも真剣に変わりつつあるのを感じた自分は自然と勉強を始めるようになり、翌年の春にはバイトに合間に塾に通い始めました。
  • そして三年になって夏くらいからは通常コースも撮りました。当時 sin, cos, tanを知らなかった自分は現役無謀と今では明らかだが、なんか自分ならできそうと思っていた部分がありましたが無理でした。梅田の河合塾に通いながら中学時代のTに再開してさらに塾に来る回数増えました。Tは中学の時同じ塾に通っていて高校は違うけど普通にイケメンだったので再開してすぐに彼だとわかりました。びっくりしたのは身長負けたなーてとこ。
  • そう僕、中学時代は成長早くある程度身長あったものの、それ以降全く伸びず中学時代の友達は軽々と僕の身長抜かしてました。これが僕の身長コンプレックスを招いたのだ。。。。

 

結局現役合格できず貯金をはたいて再び予備校に通いました。

 

あ、でも最終的には放課後に牛丼食べに行ったり、唯一得意科目だった世界史を語り合えるような数少ないけど今でも話せる貴重な友達は今更だけどよかったと思います。

よく自分に付き合ってくれたなと時々当惑もする次第です。笑

 

予備校時代(黒歴史エピソード3)

ここはあまり触れすぎると色々アレなので。

簡潔に書くと

  • 最初は勉強頑張ってた。
  • 夏からクラスが変わりでもおとなしくしてました。
  • 途中から厨二病こじらせた男子校軍団に絡まれる。
  • 人に迷惑をかけないをモットーにありとあらゆる罰ゲーム。
  • 真冬にタンクトップ、短パン、筆箱は虫かご、カバンは虫取り網
  • あるいは必勝ハチマキつけて背筋ピンッで授業。
  • あるいはコピー機で顔コピ。
  • 結局志望校落ちてモータ

 

あと体重が15キロ太りました。動かなすぎ、食べ過ぎ。。。。笑

 

大学時代〜

 

ここも後ほど留学シリーズで書きたいので簡潔に

 

  • 一年生:一応ちょっとした京都の同志社大学に入学したものの先輩も友達もおらず、またどうやって友達を作ればいいかわからず出だしはいいスタートでなかった。
  • サークルも入りたいのいくつかあったが授業と被っていたため加入しない。あまり交友関係が広がらなかったとこれも後悔。
  • バイトは巷で塾講始めたが、これがまた地雷。地元すぎたため、知り合いの弟、妹などが生徒でガンガンやってくる。あまり正体ばらしてもいいことないんで最初は隠しながら地元の学校事情に詳しいおじさんを演じてました。
  • 結局卒アルとかでバレたりとか、地元フラフラしてたら遭遇したりで身元割られたりもしました。。でも塾長と教室長が非常に理解のある方で自分に色々わがままさせてもらいました。というのも授業スタイルはもちろの会社の方針に従いますが教室内のあれやこれやと作業や面倒も見させてもらいました。僕にとってこの仕事場の経験はキャリヤに繋がらなくとも僕という人間のベースを作ってくれています。非常に感謝していますしまた遊びに行きたいです。そういや講師間の新人賞もらったこともあったなとちっさいことですが今まで人に認めてもらうことがほぼほぼ0だったので非常にやりがいがありました。
  • バイトといえ勝手をさせてもらったというのも、後ほど紹介する留学のことです。
  • 二年生で初めて8月にホームステイに行きました。行き先はドイツのミュンヘンですが大学の語学プログラムで1ヶ月学校に通いながらドイツの暮らしを経験してみようというものでした。
  • 筆者当時ドイツ語全然しゃべれませんでしたが最低限の資格と条件をクリアしてなんとかいけました。
  • また三年生では1年間交換留学でドイツのハンブルク大学に行きました。これが一瞬黒歴史エピソード4になるんですがまあいいです。笑
  •  四年生で帰ってきてからはすぐに就活を始め、五年生になると学費払えないフラグ立ってたので卒業必死でした。
  • なんとか今働いている会社に就職決まって、あとは外国の友達(こっちに来てる留学生)捕まえては少しでも英語や外国の文化に触れる機会を探しておりました。

 

社会人生活〜

就活を2週間くらいで終えたため、社会人というものを非常に甘く見ていたと思います。

  • 入社して最初の研修や非常に好調で仲間もできていい時間になったと思います。最近会ってないのでそろそろまた飲みに行きたいです。特に凄かったのは有名大学出ている中、文系の中で数学1位だったてことかな(ちょっとだけ自慢させてください。笑)
  • でもいざ職場に配属されるとすぐにOJTが始まるも会社やある程度、エクセルなどの知識を知っている前提に仕事が進んでいき自分がいかに準備不足だったか、と言うより準備のベクトルが違ったか。
  • 語学だけがスキルじゃいけないと思った一年でまた人間関係が非常に難しい時間でした。
  • 会社の中でも外でも誰が味方で誰が自分を利用しようとしているのか、保険の営業とかも信用できません。そもそももう入っているのに加入したくなるような話を進められても困るよなーて感じ。(これは単なる一例で保険業界を批判していません。保険という制度自体非常に重要なものですが押し売りに対して疑問が残る次第です。それもビジネスなんですが、、、)
  • ここで重要なのが学生時代の友達、私利私欲、公私混同、利害関係、こう言った概念を抜きに話せる人って学生時代の友達がベストじゃないんかって思います。
  • 筆者自身そういう友達が非常に限られているのですが、たまにでも会えばかなり落ち着くものだなと。
  • 時間が経つほど友達の存在て本当に大事で僕はこの数少ないつながりは大事にしたいなと思います。

 

これ現在までの筆者の年表、というより伝記みたいになってしまっているような、、、

 

5500字も書いてしまいましたが読んでくださった方がいらっしゃれば非常に感謝感激です。

 

今後はもっと楽しんでいただけるような内容の記事書いて見たいと思います。

 

よろしくお願いします。

 

Kitarou

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