ポメスパンツァー

若手ゆとり会社員の究極暇雑記

100%はあり得ないて法則ないかな





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今日は不意におもいついた現実の不確実性について検証したく問題提議したい。

次回の記事でより深く入ろうと思うが、テーマは一言

100%てありえんくない?
この提議が何に基づくかということだが、たとえば次の言葉を例にとってみたい。

放出

みなさんこれなんて読みますか?

 

日本中で聞き回ると大多数は「ほうしゅつ」と呼ぶだろう。

ただ大阪の一部地域、または同志社大学などに訪問経験のある方はJR東西線で同名の駅があるのをご存知と思う。

ちなみに読み方は「はなてん」。

大阪の方はほうしゅつよりもはなてんのが出てくることが多いんちゃうかてことから、100%がはほうしゅつて読むわけでないやろていうのが僕の考えです?

もちろん文脈によってほうしゅつとよまざるをえない場面はあり、それは基本的にはみな使い分けができるはず。

今回ポイントはファーストルックでの反応である。

ほうしゅつという言葉とはなてんという言葉のどちらが日常的に使用の比重が大きいかというところに依存してくると思う。

このようは一つの概念に対して、複数の理解があることが100%はありえないという見解。

この複数の理解というのは、文化、風土、言語など複数な要因が一つならまだしも、複合的に絡んでいることから単純に答えを出せないと思う。

僕のこの考えを理解して何か参考になるものを提示いただければ非常に嬉しいです。

  • ではでは、、、